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福岡高等裁判所 昭和36年(う)334号 判決

控訴人 被告人 河野篤

弁護人 米野操

検察官 土井義明

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年六月に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁読人米野操が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意第一点について。

よつて記録を精査するに、原審において取り調べた河野家の戸籍謄本及び当審において取り調べた玉井家の戸籍謄本によれば被告人は昭和一五年九月一日玉井八五郎とその妻イマヨとの間に出産した七男として戸籍に登載せられ、昭和二九年五月四日同人等夫妻の代諾により河野貞雄及びその妻恵と養子縁組をした旨八幡市長に届け出られた事実が認められる。ところが、原審において取り調べた河野恵の司法警察員に対する供述調書、当審証人河野恵の証言、当審において取り調べた玉井イマヨ作成の証明書並びに書翰によれば、被告人は真実は玉井八五郎とその妻イマヨとの間に生れた実子ではなく、同人等の長女玉井ムメコの私生子として出生したものであるところ、八五郎夫妻は世間態を憚つて被告人を自己等夫妻の間に出生した七男として虚偽の届出をした事実が認められる。従つて、玉井八五郎、同イマヨは被告人の親権者ではないから、同人等が被告人の法定代理人として被告人に代つて承諾した被告人と河野貞雄、同恵との間の養子縁組はその効力を生ずるに由ないことまことに所論のとおりである。

しかし、一五才未満の子の養子縁組に関する法定代理人の代諾は法定代理に基くもので、その代理権の欠缺は一種の無権代理と解するのを相当とするから、養子は満一五才に達した後法定代理人でないものが自己のために代諾した養子縁組を有効に追認することができるものと解するのを相当とし、しかもこの追認は明示若しくは黙示を以てすることができ、その意思表示は満一五才に達した養子から養親の双方に対してなすべきもので、適法に追認されたときは縁組はこれによつて始めから有効となるものと解すべきである(最高裁判所昭和二七年一〇月三日判決参照)。そして、民法が追認の制度を設けた所以は本人のみならず相手方の利益をも考慮したものである趣旨に鑑みれば、苟も本人が無権代理人の代理行為により形成された法律状態を認容し自己に享受する如き積極、消極の行為に出でたときは黙示的追認をしたものと解するのが相当である。

ところが、原審において取り調べた被告人及び河野恵の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書、原審並びに当審における証人河野恵の各証言を綜合すれば次の各事実が認められる。すなわち、被告人は昭和一六年九月頃満一才のとき実母玉井ムメコ及び戸籍上の父母玉井八五郎、同イマヨの代諾により河野貞雄とその妻恵の事実上の養子となつて同人等に引取られたが、当時同人等は英男という戸籍面だけの男養子を有し、法律上更に男子を養子となし得なかつた関係上、やむなく被告人との縁組届をしないで荏苒日を過ごし昭和二九年五月四日漸くその届出をなすにいたつたものである。かくて、被告人は本件犯行当時まで約二〇年の永きに亘り河野貞雄、同恵夫妻より養子として実子同様養育されて成長し、昭和三四年三月福岡県立東筑高等学校を卒業して八幡化学工業株式会社に入社したが、養子縁組の届出がなされてからも既に六年以上を経過している。その間養母恵の被告人に対する強い愛情は一日として変ることなく、養父貞雄は時に被告人を冷遇し暴力を振うこともあつたが、それは専ら同人の短気、粗暴、独善の性格の然らしめたものであり、被告人が養子であることを嫌忌する態度は微塵もなく、被告人もまた常に貞雄夫妻を「お父さん、お母さん」と呼称して仕え、昭和二九年頃自己が養子であることを察知した後も、更にまた昭和三〇年九月満一五才に達した後においても従前と変ることなく養子として只管両名に孝養をつくし来り、昭和三四年四月前記会社に入社後は給料の大部分をさいて家計費に充て失職している養父貞雄を扶養して来たのである。

以上のように、右三名が二〇年の永きに亘り築き上げた養親子としての家庭生活の基盤、殊に被告人が一五才に達して以来六年以上の間、河野貞雄、同恵夫妻を真の養親と仰ぎ只管孝養をつくして来た養子としての自覚と態度に微すれば、被告人は無権代理人玉井八五郎、同イマヨがなした代諾による養子縁組を昭和三〇年九月満一五才に達した後河野貞雄、同恵に対し自ら暗黙に追認したものと断ずるのが相当であり、従つて、被告人と右両名間の養子縁組は届出当時に遡つてその効力を生じたものといわねばならない。

原審が河野貞雄を被告人の養父であるとして被告人に尊属殺の法条を適用処断したのは相当であり、原判決に所論の如き事実誤認、法令適用の誤は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点について。

しかし、記録を精査し被告人の検察官に対する供述調書、司法警察員に対する自首調書を仔細に検討し、併せて原審証人生島甚六の証言を参酌すれば、右各調書の任意性、信用性を疑うべき事情は存しない。なるほど、右検察官調書と自首調書を比較対照すれば、犯行の動機、経緯に関する表現が両者酷似していることは所論のとおりである。しかし、最も肝要と認められる殺意の点については前者は未必的殺意の自白であるのに、後者は確定的殺意の自白であつてその態様を著るしく異にしているから、所論の非難は当らない。

そして、右検察官調書中、私を父を殺してやろうとまでは考えていなかつた。しかしお示しの出刃庖丁で胴体を二、三度突いたのだから重傷を負つて死ぬかもしれんとは考えた。結果はどうなつてもいいと思つて夢中で刺した、どうでもなれという気持であつた旨の供述記載と被告人が判示出刃庖丁で相手の胸部、腹部を数回突刺した事実に徴すれば、所論の如く相手が柔道五段の猛者で角棒を以て殴りかかつた点を考慮しても、被告人の未必的殺意を肯定するに十分であり、原判決に所論の如き事実誤認は存しない。諭旨は理由がない。

同控訴趣意第三点について。

被告人が二〇年の永きに亘つて教育された養父を殺害したことは理由の如何を問わずその刑責極めて重大であるといわねばならない。しかし、被告人は性温厚にして頭脳明晰、孝心深くして養父母に対し常に孝養を怠らなかつたものである。ところが、養父貞雄は短気粗暴且つ我まま者であり、殊に数年前失職以来賭事と飲酒に耽つて正業につかず、金に困れば衣類を入質し些細のことに立腹して被告人を殴打叱責することしばしばであつたが、被告人は常々これに堪え忍んで反抗的態度を示さなかつたのである。本件犯行当日、貞雄は賭金を作るため養母買いたての反物を入質すると言出し被告人より諌言されるや、「何を、お前が一人前のことを言うか」と努鳴つて麻雀台を振廻して殴りかかつたのである。そこで、被告人は直ちに逃出して事なきを得たところ、数十分後自宅附近の路上で貞雄に出遭い「感情を害して済みません」と謝罪したが聴いれられず剰さえ角棒を以て殴打されたので自宅に逃け帰つた際、図らずも炊事場の出刃庖丁が目につき昂憤の余りこれを以て立向わんと引返して貞雄に出遭うや、同人が再び角棒を振上けて殴りかかつたため遂に本件犯行に及んだのである。被告人は犯行後ひどく前非を悟い直ちに自首している。素行善良にして勿論前科はない。養母恵は被告人の身を案じて日夜心痛している。記録によつて認められる以上の諸点を考察すれば、原審の被告人に対する科刑は重きに過ぎ不当であるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に判決する。

原判決の確定した事実に法律を適用すれば、被告人の原判示所為は刑法第二〇〇条に当るから所定刑中無期懲役を選択し、自首しているので同法第四二条第一項第六八条第二号により法律上の減軽をなし、なお論旨第三点説示の事情により犯情憫諒すべきものがあるから同法第六六条第七一条第六八条第三号により酌量減刑した上被告人を懲役三年六月に処し、同法第二一条を適用して原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入し、原審並びに当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 臼杵勉)

弁護人米野操の控訴趣意

第一点原審が、本件被害者河野貞雄を被告人の養父と認定し、被告人に刑法第二〇〇条尊属殺の規定を適用処断したのは、事実を誤認し、よつて、法令の適用を誤つた違法があるものと思料します。

原判決は、「被告人は幼少の頃から河野貞雄及び同恵夫婦の養子として育てられて来た」旨認めて右河野貞雄を被告人の養父と認定しており、原審が援用した被告人の検察官調書、河野恵の警察調書、大宮町長作成の戸籍謄本及び当審で弁護人から提出する養子縁組届謄本によつて、被告人が被害者河野貞雄の実子ではなく、昭和二十九年五月四日右貞雄夫婦との間に同人らの養子となる旨の養子縁組届を福岡県八幡市長に提出されていること及びその当時昭和十五年九月一日生の被告人がまだ十五歳未満であるため、被告人の戸籍上の父母である玉井八五郎同イマヨが被告人に代つて右縁組を承諾したことが明かである。ところが、原審が援用している前記河野恵の警察調書三項に「篤は、昭和十六年九月頃一誕生位のとき、郷里の玉井八五郎の娘が附近の寺に奉公していたとき和尚の子供を産んだので八五郎の子供として養育していたのを、近所の人が世話してくれて養子に貰つた」旨の記載があるので、弁護人が調査したところ、当審で提出する玉井イマヨ作成の証明書及び書信、愛媛県小松町長作成の戸籍謄本により、被告人は戸籍上の父母となつている玉井八五郎及び同人妻玉井イマヨの実子でなく、実は、右八五郎夫婦の長女玉井ムメコ大正七年三月三十日生現在佐伯姓の私生子として出生したのを世間体を慮つて母ムメコの両親である玉井八五郎夫婦の七男として入籍したものであることが判明した。従つて、右八五郎夫婦と被告人とは親子関係がないから、八五郎夫婦が被告人に代つて河野貞雄夫婦との間の養子縁組を承諾しても法定代理人でない同人らの承諾はその効力がなく、右縁組は当然無効であつて、河野貞雄夫婦と被告人との間に養親子関係が発生しないから、被害者河野貞雄を被告人の養父と認定した原判決は事実の誤認であり、また、養父であることを前提として被告人に刑法第二〇〇条を適用処断したのは法令の適用を誤つたものであるから、破棄せられるべきものであります。

第二点原審が被告人に未必的殺意があつたものと認定したのは、重大な事実の誤認であると思料します。

原審検察官は被告人に河野貞雄殺害の確定的犯意があつたと主張したのに対し、原審はこれを斥けながらも、なお未必的殺意があつたものと認定された。しかし、被告人は原審公判で終始殺意(確定的殺意はもちろん未必的殺意も)を否定するだけでなく、原審が未必的殺意認定の資料とされたと思われる被告人の警察、検察各調書中殺意に関する部分についてその旨の供述をしたことがないと訴えているので、果して被告人の右弁解が真実なのか、それとも単なる否認のための弁解に過ぎないかを判断するには、右各調書の供述記載の信憑力の有無が問題である。

1 被告人の警察調書は昭和三六年一二月一〇日付調書のみで、その七項「今度父を殺したが、そのことについては、私は自首するつもりでありましたので、昨夜警察の方に申上げた通りである」及び一〇項「私は、かつとなり、前後のみさかいもなく、こんなことをして、……後悔しています」旨の外には、犯意及び犯行に関する取調がなされた形跡が見当らない。しかし、殺人等重大事件の犯人がその犯行直後に自首したときは、通常異常な昂奮状態にあつて冷静を欠き、その供述も意を尽さないことが多いから、日を改め犯人の平静になるのを待つて犯意及び犯行の態様について更に詳細な取調を行い、犯人に十分意見や弁解を述べる機会を与える必要があるのに、前夜約二、三十分の短時間の取調で作成された(生島巡査部長の原審証言参照)自首調書に譲つて、犯意及び犯行に関する取調を全然しなかつた警察の態度は、事犯の重大さに鑑みて当をえないものと考える。

2 肝心の自首調書は、犯行の当夜前述のとおりごく短時間の取調で作成されたというが、これには犯行当日における犯行の直前までの経緯が記述された後に、犯行の動機及び犯意として「自宅を出て昭和町の民衆楽映劇に行く途中、家の前の通りを一〇〇米位西方へ行つたとき、前方から父が来るのを見かけたから、謝つておいた方がよいと思い、″感情を害して済みません″と云つたのに、父は″やかましい!俺について来い!」と云うので、父の二米位後を家の方へついて歩き、一〇米か一五米位家の方へ引返したとき、父が道端にある畑の杭(長さ約一米、角もの)を引抜いていきなり私に殴りかかつて来た。私はよけることができず腰の辺を一、二回叩かれたので、平素のことも頭に来て、ようし殺してやろうという気になつた」旨確定的殺意を生じたように記載されながら、犯行の態様としては「それで、走つて家に引返し台所にあつた出刃庖丁を取り出して父の方に引返した。その時父は棒切を持つて洗心寮の前附近道路を歩いていたが、私の姿を見かけて、父は又棒を振り上けて殴りかかつてきた。それで私は殴られる先に、右手に持つていた庖丁を力まかせに正面から突刺した。夢中で刺したので、どの附近を刺したのか、覚えないが、たしか二、三回位突いた様に思う。父は″待て々々″と云いながら洗心寮の塀に寄り掛つてそこに座り込んでしまつた」旨極わめて簡単な記載があるだけである。しかし、本件は殺意の有無によつて、法定刑に格段の差がある犯罪であるから、もし被告人が真実確定的殺意を自白したものとすれば、イ殺意を起すに十分な動機原因の有無、そして、以前にも被害者に対し殺意を生じたことがあるのかどうか。被害者から棒切で殴られてどの程度負傷をしたのか。被告人が被害者から棒で殴られた位で、直ちに殺意を生ずるような兇暴な性質なのか。ロ殺意が生じて後、家へ走つて帰つたと云うが、引返えすときも、やはり走つて行つたのか、それとも歩いて行つたのか。家にいる間はどこで何をしていたか。家に入るなり、すぐ台所から庖丁を持つて飛び出したのか。家に帰つたのは被害者からの危害を避けるためでなしに、出刃庖丁を持出すためだつたのか。被害者を突刺すときは、無言だつたのか、それとも何か云いながら刺したのか。殺害した後は、どうする考えであつたのか。その他殺意の発生を裏付けるべき事項が多々あつて、当然これらを明確にしておく必要があるのに、自首調書には明かにされていないから、自首調書のみでは、到底その確定的殺意の記載に信を措くことができないのではなかろうか。被告人は、原審において、右自首調書中「腰の辺を一、二回叩かれて、かつとなり、平素のことも頭に来て、ようし殺してやろうという気になつた」旨の記載は供述したことがなく、「かつとなつてやつた」と述べただけなのを係官が調書のように記載したものであり、また、被害者から殴られてから家に帰つたのは、出刃庖丁を持出すためではなくて逃けて帰つたのであると弁解しており、自首調書を以てしては甚だ簡略に過ぎて被告人の弁解を排斥する資料とはなしえない。

3 被告人に対する検察官調書の信憑力を判定するには、その五項及び六項と自首調書の三項乃至五項を対照せられたい。両者は非常によく似ているから、おそらく検察官が被告人に対し自首調書の記載を読聞け認否を確めながら事務官に口述して作成したもののように推測され、被告人の自発的供述を録取したものとは解することができない。自首調書との相違は、自首調書における確定的殺意が未必的殺意に変つただけである。弁護人が自首調書について述べた前記要取調事項はいずれも配慮されてなく、本件検察官調書は自首調書の焼き直しに過ぎない。検察官調書中殺意について、「私は父を殺してやろうとまでは考えていなかつた。しかし、今示してくれた出刃庖丁で胴体を二、三度突いたのだから、重傷を負うて死ぬかもしれんとは考えた。結果はどうなつてもいいと夢中で刺した。」旨の記載があり、これが原審の未必的殺意を認定される重要な資料となつたものと推察しますが、「出刃庖丁で胴体を突いたのだから、死ぬかも知れんとは考えた」ということは、犯行時の気持をいうたものか、それとも取調時における結果的判断なのか不明であり、また「結果はどうなつてもいいと夢中で刺した」旨の記載も、結果はどうなつてもいいと力まかせに刺した意味か、または、結果のことは考えずただ夢中で刺した意味なのか不明であつて、右調書の記載は正しく未必的殺意を表現しているものと解することができない。被告人は原審において、検察官の取調をうけたとき調書に記載されているような供述をしていない、「かあつとなつて刺した」と述べただけのように主張しているのは、否認のための弁解ではないようである。

被告人は性質温和、東筑高校在学中も八幡化学工業に入社して後も責任感がつよく、それでいて上長や同僚との交際が円満で他人と喧嘩斗争することを好まず、被害者から永年に亘つて理不尽な仕打をうけてもよく耐え忍び、たとい暴行をされても逃がれて自らの危害を避けるだけで反抗など夢にもしたことがなかつたのであるから、被害者に殺意を抱いたとは考えられない。犯行に出刃庖丁を用いたことは殺意認定の一資料となるであろうが、出刃庖丁を使用しても傷害致死に認定された事件が多数あり、本件の庖丁は稍小型に属し、かつ、被害者が柔道五段、整骨士の免許を有する猛者であり、なお、当時角棒を所持していたことを考えれば、対抗上出刃庖丁を持出したからとて必ずしも殺意ありと断定するに足りないし、また数回刺していることも、相手の反撃をおそれ無我夢中でしたものと解することができ、いずれも殺意認定の極め手とするに当らないものと考える。

以上の次第で、被告人に殺意があつたものと認定された原判決は事実の認定を誤つたものと考えます。

第三点原審が、被告人を懲役七年に処せられたのは、刑の量定が重きに過ぎるものと思料します。

原審が被告人に刑法第二〇〇条を適用しながらも、自首減軽の上法定刑の最低である懲役七年を言渡され、確定的殺意があつたと主張し、人倫の大本にもとる大罪で一罰百戒のために厳罰を望むといわれた検察官が懲役七年を求刑されたのも、共に被告人の心情にいたく同情されたことを証するものと考える。しかし、1被告人は私生子という不運な境遇に出生し、生後一年で被害者夫婦に養育されることになり、主として養母恵の慈愛のうちに成人し、昭和三十四年三月高校卒業後八幡製鉄の傍系会社である八幡化学に入社し事件発生まで有給休暇をもとらずに精励していたこと。2被害者が八年前八幡市立尾倉中学の事務職員の職を失脚してから前途の希望を失い、家族の嘆きをよそに賭事と酒に身を持ち崩ずし、被告人の年少のときからまことに筆舌に尽くすことのできない仕打をしても、被告人が養母と共にただ忍びこらえて、全く自己を犠牲にしてようやく家を守つてきたこと。3本件は一瞬のうちに起つた偶発的事犯であり、犯行後は後悔して現場から直ちに自首し、爾来日夜被害者の霊に詫び、その冥福を祈つていること。4養母恵にとつては被告人の成長だけが生涯の生き甲斐であつたため、事件発生後は日々嘆き悲んで、一日も早く被告人と起居を共にできることを願うと共に、被告人の同窓や同僚及び近隣の者達も一様に被告人の罪の軽からんことを希望していること。等を斟酌すると、原審の刑は重きに過ぎると考えますから、更に、酌量減軽の恩恵を賜わりできる限り御寛大な裁判を懇願してやみませぬ。

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